2011年9月20日火曜日

がんばろう東北!東松島

宮城県東松島の今
9月17日(土)
仙台ー東名ー野蒜ー月浜

野蒜・いまだ水が引かない地域

仙台に住むカメラマンの福田さんから「東松島の被害も甚大なものです。でも、なかなかマスコミには取り上げられない。是非、見てほしい」との話がありました。そして、訪れることにした。

最初に訪れたのは、「東名」という漁村のある地域。見渡す限り津波で家は、流されて、残った家も、中は爆風を食らったようなありさま。
道路は深い水たまりが多く、車が走れば、バシャバシャと水をはね上げて通るしかない。町が水没しているのだ。

月浜・破壊された堤防

町を通って海岸に出ると、美しい海の向こうには、松島の風景に代表されるように、小島が浮かび、風光明媚な浜であった。
浜では、たき火をしていた。
一艘の小舟が、ゆっくりと横切る。5人の人々は、全員が浜を見ている。少し笑っているようにも思えた。船は、何かを引っ張っていた。

それは、根こそぎ引き抜かれた巨木だった。海底に沈んでいたのだろう。その船は、たき火の先のある、荷揚げ場所につくと、木を下ろし、また、左側へと帰っていった。
その木は、フォークリストでたき火近くに持ってこられ、チェーンソーで切ってから、たき火にくべられていた。
この船は、こういう作業をどれだけやらなければならないのかと思ったら、気が遠くなりそうになった。海底に沈んだガレキの数は、計り知れない。

そして、野蒜地区へ向かう。長い堤防は破壊され、まさに水没した地域が広がる。

野蒜・道路を挟んで手前が海。町側は水没している
そして、月浜へ。小さな入り江のある民宿が立ち並んでいただろう海水浴場であり、観光地である。建物はいくつか外壁は残っているものの、すべて津波に飲み込まれた。のんびりとした美しい風景は、一変したのだ。人々は、高台にある仮設住宅で暮らしている。マスコミに忘れ去られた地域は、東松島だけではないと思う。
メディアは、こういった地域の実情を報道する必要があると思った。

月浜:数件家はあるものの、人は一人もいない
福田さんは「ここは、人が集まれる場所もないし、道も狭い。仙台からのアクセスも悪いので、マスコミも芸能人も来ないのでは?」という。理由はなんなのかと、疑問をかかえつつ、仙台に戻った。

2011年9月19日月曜日

がんばろう東北!仙台短編映画祭にいってきました

ショートピース仙台短編映画祭
9月17日(土)~19(月)会場:仙台メディアパーク
17日(土)「明日」上映16:30~

3.11を忘れない、そして希望を持つために、仙台短編映画祭では、「明日」という3分11秒の作品を募集し、42作品が集まりました。今日は、石巻の岡田劇場とのご縁を頂いた、短編映画祭事務局の日野さんの応援と、映画祭実施の激励に、平林代表と駆け付けました。

少し早く会場に到着したので会場1階のカフェでお茶を飲むことにしました。カフェの一角では、3.11「明日」の撮影のメイキング風景を流していました。ホールには徐々に客が集まり、列を作るようになり、NHK始め取材チームも三々五々集まってきました。ほっと一安心。

映画祭実施には、震災後、長い道のりがあったと聞いています。震災直後に、監督たちからスタッフの安否を気遣う連絡が数多くあり、監督たちの後押しもあり、映画祭を実施することになりました。「だったら、監督ったちに新しい作品を作ってもらおう。」
しかし、沿岸部のあまりの被害の大きさに、食べることも住むことも困難な方々がおられる状況で、映画祭を実施して良いのか?という疑問が内外からわきあがりました。

結局は、監督たちの「やりましょう」というエールと、同じ苦しみの中にある東北の映画祭が集まり、「映画の力」を信じ、実施することにしたそうです。「文化が支援になるのか?」そんな悩みは、文化に携わる方々、すべての悩みであるといえます。しかし、文化は確かに人々の心に安らぎを与え、何かを残してくれるものを信じています。

「明日」の上映では、シリアスな作品あり、ポエム的な作品、幻想的な作品、笑いあり、ざまざまな作品が上映されました。監督たちが東日本大震災に寄せる思いは、鮮やかな作品となって我々の前に現れました。
メディアが震災を発信するひとつの方法として、今後、この活動が平和の灯になって世界に広がっていくことを願っています。

2011年9月11日日曜日

がんばれ!岡田劇場

自然の力強さ。今、緑が地面を覆い、花が咲いている   9月11日(日)震災から6カ月
石巻市立門脇小学校。黄色い
カンナが希望をくれた
 今日は、どこのテレビ局でも震災の特集を放送していました。NHKでは1日石巻の日和山公園から中継を出していました。また、どの番組も、復興が進んでいない現状と、被災者へのインタビュー、同行取材が主でした。

なかで、TBSが深夜ずっと、若手ディレクターの取材日記のようなオムニバスの番組を放送していましたが、とても心打つものがありました。
地震直後から現場に入って取材したものですが、「どう伝えるのか」「どう地域の皆さんの取材をしたらよいのか」戸惑いや悩みながら、取材してきたものです。
それは、ディレクターの悩み、そのものが、被災者の心や状況を伝えることになったという赤裸々な内容でした。

ある女性ディレクターの取材では、皆さんが体育館で避難生活している状況を伝えるもので、「スポーツ放送を皆さんが熱心に観ている」という内容の取材でした。しかし、体育館では人もまばら、取材を敬遠してどこかに行ってしまった方もおられたという、取材意図とはかけ離れた現状でした。

門脇小学校の二宮金次郎像。
誰かが、ガレキの中から見つけた
のだろう。金メダルが首にかけてある。
かけた人の「思い」が伝わる。

そんな状況で取材を続けてきた疑問を自分自身に問いかけていました。それはメディアに関わる人の共通の疑問であると思います。

震災から半年・・・・

「被災状況や復興で頑張っておられる姿を伝えることの難しさ」
しかし、伝え続けなければいけない。
その葛藤の中で、メディアの役割を再考しながら
伝え続けていきたいと思います。

中瀬の岡田劇場後、橋のガードレールや歩道が
整備されていた。ほんの少しづつではあるが、
インフラは復興に向けて進んでいる。


2011年9月8日木曜日

9月のCheck!アジカル

「シルクロードからのメッセージ」
NHK BS1 Check!アジカル

9月5日(月)ウズベキスタンの歌手、アノーラさん
「ウズベキスタンの風を運んで」

ウズベキスタンの歌手、アノーラさん。東西文化
が交差し、様々な文化を生んできたウズベキスタン
の現状と、ロシアからの映像の情報や音楽界につい
て紹介しました。意外にも、生活習慣は日本と似ており
緑茶を飲むこと、靴を脱いで家にあがるなど、暮らしぶり
も紹介しました。

9月5日(月)ウズベキスタンの歌手、アノーラさん












9月6日(火)本條流家元、本條秀太郎さん
「西アジアと和楽器の世界」

長くNHK大河ドラマの三味線指導をされており、
「龍馬伝」では福山雅治さんに三味線を教えた
ことでも知られています。
中国、韓国、アフリカのアーティストとの競演を行う

とともに、シルクロードをテーマにした楽曲も作成
するなど、新しい音の世界に挑戦しています

9月6日(火)本條流家元、本條秀太郎さん。

9月7日(水)トラン・レベントさん(トルコ料理シェフ)
「シルクロードを彩るトルコ料理」
宮廷料理から野菜料理と変化したトルコ料理の
歴史と、東西食材がミックスしたトルコ料理の
真髄を紹介しました。また、冬でも野菜料理が
食べられるように夏、豊富な野菜を、家の軒先
に吊るして乾燥保存させる、暮らしの知恵も紹介


9月7日(水)トラン・レベントさん(トルコ料理シェフ)


2011年9月2日金曜日

9月のCheck!アジカル

NHK BS1「Check!アジカル」(ほっと@アジア) 
シルクロードからのメッセージ
2011年9月5日~9月7日  170017:16
キャスター:吉井歌奈子


95日(月)
「ウズベキスタンの風を運んで」
アノーラ(歌手)

タシケントで日本文学を学んだアノーラさん

来日1年半のアノーラさん。ウズベキスタンの暮らしや民族衣装にまつわる話、音楽の世界を紹介します。そして、エキゾチックな、アノーラさんのウズベクポップを披露します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
96日(火)
「シルクロードと三弦」
本條秀太郎(三味線奏者)
三味線のルーツのお話もあります


三味線のルーツはペルシャからアジアへ。
海外アーチストとの演奏、「龍馬伝」の福山雅治さんに三味線を教えたエピソードなど本條さんの魅力あふれる演奏とともに
お楽しみください。
 
 
 
 
 
 
9月7日(水)
「東西をつなぐトルコ料理」
トラン・レベント(トルコ料理シェフ)
料理歴40年。祖父祖母から習った
料理は味が最高です


豊富な食材と料理法で知られる
トルコ料理。意外にも野菜を多く
使ったヘルシー料理でした。知ら
れざるトルコ料理を紹介します。
おばあちゃん直伝の野菜の保存方
法も紹介します。